自転車メカニック35年キャリアの親父日記

35年キャリアの自転車店親父の人生や思う事を書きまくる。

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近くの不動産屋にコピーをとりに行った際、「自転車店開業したいんだけど、いい物件ないっすか?」てきいたら「あるよ!ここどう?」て気軽な感じで紹介してもらった店舗住宅を契約して即入居)^o^(♪(´ε` )、ちょこっと無謀だったかなあ。、自転車の仕入資金がない。コンプレッサーと既に使い慣れた工具だけ、とりあえず、自転車修理店という事で事業開始、当初 知られるまで時間がかかったが、まさに、必要最小限、パンク修理とタイヤチューブの少量在庫にとどめた。時は、スポーツサイクルのブームちょっと黎明期かな、イワイサイクルさんと契約して、在庫量を増やしていった。プロショップさんも点在していたが、比較的安価なものから始めたので、販売は楽だった。パナソニックのオーダフレームに全部品オーダーも受注できたし、メンバーでレース参加で盛り上がった。米国からMTBなどのメーカーも多数あって、MTBレース参加でも盛り上がった。時は、バブルだ。閉店後、数人のメンバーで駒沢公園でアップして、多摩川サイクリングコースから様々なコースを設定して走行して楽しんだ。日曜日は、大井埠頭で多くのサイクリスト達と集団走行で盛り上がった。しかしながら、こういった趣味のフィールドのものはたいてい、徐々に仕入れ価格が高騰してきて労ロウ多くして、儲からなくなって来たのを早めに読み取って、練馬の今の店に移転した折に、わずかスポーツサイクル店の感じを残しながら一般のいわゆるチャリンコ屋にターゲットを変えていった。確かに面白味はない。米国のMTBのチャンピオン達とカタコト英語で話をしたり、サインをウエアーに書いてもらったりすることは無くなったが。今思っても、よかったかなあって感じ😋。店におさまって、

お茶と煎餅を食べながら、YouTubeで、世界のサイクルレースシーンを好きなだけ見れるし、まあいい歳になっておさまったってことだ。趣味のジャンルで利益を十分確保するには、今では相当な資金かスキル化を持って資金調達する必要がある。頭回らんよ。若手の成功例を見ているがその成功の裏には結構な数の失敗例もあるからなあ、自転車関連のことであれば応援するよ。🧐